まさかのスピード離婚が決定、別れるまでの地獄の日々がスタート#4

年下彼と私のストーリー
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当時の旦那と最後のディナーの後

私は、「よりを戻せるかもしれない」と一筋の光で微かに期待を膨らませた。その日は少なからず、眠れた気がする。

だけど、それは試されてただけだった。

「別れたい」と言われてからの約1ヶ月は、猶予期間で、【私を好きか】を確認するためだったみたいだった。

愕然とした。なんと表現すればいいのか。底の見えない真っ暗な谷底に突き落とされた気分だった。

結局、答えは同じだった。

でも、その時私は、決定的な証拠を見つけてた。だから、別れるしかないことをどこかでわかってた。

決定的な証拠は、よくあるメールの内容ね…震えた。ワナワナするってこんな感じ?

頭真っ白になった。

今なら、「普段できないクセに、こざかしく隠しやがって!」とか色々毒吐いたりできるけど 笑。

当時はそんな感情さえ湧いてこなかった。

「あーこういう時にも人って震えるんだな」ってどこか客観的な自分もいた。

地獄の3ヶ月

話し合いで、別れることに決まった。もちろん不倫のことも話した。

「証拠見つけたぜ!」とは言わなかったけど、不倫してるのを私が知ってると気づいてたので、話はスムーズ?だった気がする。

今思えば、別れるために「バイトすれば」って言ったのかもなんて、思ったりした。

例え違ったとしても…もう、そうとしか考えられなかった。

心の整理なんてする暇はなかった。

引っ越しとかアレコレ考えなきゃいけない現実が押し寄せてきた。

苦しかったのは別れるのに引っ越すまで、それまで同様に普通に生活しなくちゃいけないことだった。

別れるのに、洗濯したり、ご飯作ったり…Mも「ご飯作らなくてもいいよ」って言ってくれてたのに、本当に自分でもバカだなーって思う。

なんか、やっぱ10年以上いたから、別れることになってもね、気にしちゃうんだよね。

毎日、辛い事しかなかった。

毎日、一緒に眠らなきゃいけない。同じベッドで寝なきゃ行けないって地獄でしかなかった…

Mはぐっすり眠ってるけど…私は眠れず、不眠症だった。

おかげで、夜中とか、下手したら夜明けにコンビニに行き、お酒を買って飲むことが多かった。

でも、全然寝れず。仕事も常に寝不足で行ってて、余計にメンタルがおかしくなってたかもしれない。

Mは、平気で不倫しに行ってた。遊びに行ったり、泊まりに行ったり、朝方帰ってきたり。

正直、帰ってこない日はホッとする反面、気が狂いそうだった。

帰ってきてもお互い気まずいのもわかってるし、だからMも遅く帰ったりしてたと思うけど、想像しちゃうでしょ。

捨てられたって感じたのかもしれない。

しかもフィリピンパブの人、そういう風俗で働いてる若い人。日本人じゃないのかよとか、勝ち負けじゃないし職業とか関係ないけど、私は、そんな人に負けたのか…って。

申し訳ないけど、そのせいで今でも少しフィリピン人にトラウマがある。ごめんなさい。

うまく言えないんだけど、所詮、男は若い女が好きなんだなって。その時、思ってしまった。

当時は出退勤の時もそうだけど、仕事中に一人で泣いてたりとかしてて、かなり鬱気味だった。とにかく「ふとした瞬間」に涙が込み上げてきた。

今、思うと結構やばい状態だった。

早く引っ越したかったけど、一人になるから沢山働かないといけなかったし、ネットで探してはいたけど、突然だったから、まず「どこに住むか」からで、なかなか見ても進まなかった。

だけど…決めなきゃいけない。

どうせなら好きだった街、住みたかった街にしようと決めた。

引っ越しに追われて疲弊する日々

休みの日はひたすら家探しだった。1、2ヶ月くらい探したかな。

何度か見に行って…探した。家賃も高めの場所で、今後のことを考えると家賃にお金はかけれなくて、妥協も必要だった。

やっと決めた家は、いつもだったら絶対選ばないような部屋だった。

すぐに引っ越したかったけど、まだ住んでるのと、引っ越し屋さんとの兼ね合いもあり、家の引き渡しが1ヶ月後くらいだった。

家を見に行くのは気晴らしになってまだ良かったけど、休みの日はひたすら家探し、家が決まったら引っ越しの準備で休む日がなく、消耗してた。

片付けが苦手な私にとって、引っ越しはストレスだった…。

でも、やっとこの苦痛から逃れられると思うと、少しだけホッとした。

ーつづくー

ロバミミ


つづきはこちら
孤独と寂しさを感じた日々での副産物は家族の愛情を知れたこと#5

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